平井堅のアナザースカイはニューヨーク~封印していた挫折を初告白!

8月25日放送の「アナザースカイ」で、平井堅さんが出演されます。

とっても美しい歌声の持ち主である平井さん。

14年前はニューヨークに住んでいました。その時、彼は実は挫折しかけていたそうです。誰にも話しなかったエピソードを番組で語られます。

 

平井堅

 

 平井さんは三重県出身。

県立上野高校を卒業した後、上京し横浜市立大学に入学します。横浜市関内のライブハウスで専属の歌手として活動していました。

ソニーミュージックのオーディションに自作のビデオを応募し、7500人の中から選ばれました。1993年にソニーレコードと契約し、1995年にCDデビューを果たしました。

1枚目のシングル『Precious Junk』はフジテレビドラマ『王様のレストラン』のタイアップでしたが、オリコン最高50位に終わりました。

その後、ヒットには恵まれず、地元三重県でラジオパーソナリティを務めたり、デビュー翌年には『オールナイトニッポン』のジングルを担当していました。

2000年になり、これが売れなければ契約打ち切り!という背水の陣で8枚目のシングル『楽園』をリリース。

テレビCMに同じ研音所属の江角マキコが出演したことで問い合わせが殺到し、スポーツ新聞・ワイドショーなどに大きく取り上げられました!!

このCMは同年1月18日から北海道・福岡県限定で放送されていたのですが、この反響により全国放送が決定し、FM各局でも楽曲が注目されて大ヒットとなりました。

以後、数々のヒット曲に恵まれることになりました。

 

 

 平井さんはサザンオールスターズが大好き!!

大学受験を考えていた時、サザンの母校である青山学院大学を受験しようと思っていました。しかし、母親が願書を出すのを忘れていたために、第二希望であった横浜市立大学に進学しました。

学生時代はコピーバンド『NO-NAME(サザンのシングル「EMANON」の逆さ読み)』を組んでいました。

大学時代、桑田佳祐の自宅の門の上に、「桑田佳祐様、原由子様、コーラスでいいので雇ってください。平井堅」とメッセージを添えたデモテープを置いて行ったという過去があります。

このテープには、プロコル・ハルム「青い影」、ビリー・ジョエル「ニューヨークの想い」の2曲が収録されていました。

 

2003年の『FNS27時間テレビ〜みんなのうた』内の『桑田佳祐の音楽寅さん 〜MUSIC TIGER〜サザンオールスターズスペシャル』では、桑田・原と共にサザンの「栞のテーマ」をハモり、夢であった共演を果たすことができました。

さらに、2ndシングル『片方ずつのイヤフォン』の歌詞には“Southern All Stars”の文字が入っています。

アルバム『Ken’s Bar』ではKUWATA BANDの「ONE DAY」を、

『Ken’s Bar II』では、桑田佳祐の「白い恋人達」、

『Ken’s Bar III』では、サザンオールスターズの「いとしのエリー」をカバーしています。

 

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 平井さんは、ニューヨークが好き

 

平井さんのニューヨークと挫折にまつわるこんなエピソードがあります。

 

平井さんが既に日本でかなり有名になっていた2003年頃・・・

『大きな古時計』を歌って暫くしたとき、歌うことが突然怖くなったそうです。

歌う喜びより、失敗する不安の方が大きくなり自暴自棄になりかけました。

そしてある日、平井さんはマネージャーさんに「辞めたい」と言いました。

すると、マネージャーは「とりあえず3ヶ月休みをあげるから、大好きなニューヨークにでも行っておいで」と伝えました。

当時平井さんはニューヨークに年に3~4回行くほど大好きなので、とっても良い休憩になりました。

この時、平井さんはのんびりしながらも英語の勉強もしていたそうです。

帰って来た時、平井堅さんは歌に対する不安もほとんど解消され、挫折を乗り越えることができたそうです。

 

『アナザースカイ』では、この話なのか、別の話なのか分かりませんが、放送が楽しみです。

 

 

ミュージックビデオ

 

MV ソレデモシタイ

このミュージックビデオは、平井さんが新宿駅西口を歩いていたところインド人の団体からインド人に間違えられたことにヒントを得て作られました!

 

 

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