小室哲哉さんが、「マツコの知らない世界」に初登場しました!
彼がプロデュースするアルバム・シングルは、1億7000万枚の売り上げを記録しました。
小室さんといえば、20年ほど前に、小室ブームを巻き起こし、彼が手掛ける曲は次から次へとヒットを飛ばしていました!その勢いは、10年以上続き、音楽プロデューサーという仕事を日本で初めて確立しました。
80年代、彼はTMネットワークというユニットでデビューしました。ボーカルは宇都宮隆、ギターは木根尚登、そして小室哲哉はキーボード担当です。デビューしてすぐにヒットしたわけではありません。4枚目のアルバム「Self Control」まではヒット曲には恵まれませんでした。
そうした中、1987年に発売したシングル 「ゲットワイルド」 がついにヒットしたのです。
TMネットワークの楽曲プロデュースは、小室哲哉が担当します。作詞・作曲の才能に恵まれ、このあたりからどんどん名曲を生み出していくことになります。1990年に、TMNと名前を改めますが、1994年に一度活動を休止します。
TMネットワークの名前の由来は、タイムマシン・ネットワークと言われてます。シンセサイザーが大好きな小室さんはコンピュータを駆使して当時斬新な音楽を作り出します。坂本龍一がはじめたグループ「イエローマジックオーケストラ」に多大な影響を受けています。TMネットワークは、「時代を超えた音楽」ということを表現したかったのかもしれませんね。 あと、3人は多摩市出身のため、TAMA→TMネットワークとも身内では言われています。
TMNで栄光を掴んだころ、他アーティストに楽曲を提供しはじめます。
1986年、渡辺美里のシングル「マイレボリューション」は70万枚のヒット。
1994年に篠原涼子がリリースしたシングル「恋しさと せつなさと 力強さと」 が200万枚の大ヒットを記録。
そのあたりから、安室奈美恵、観月ありさ、hitomi、内田有紀、H Jungle with T、Globeなど多数のアーティストの作詞・作曲・プロデュースを行ってきました。彼と関わるアーティストは、「小室ファミリー」と呼ばれ、彼がプロデュースするシングルは100万枚を優に超えるものとなり、ヒットメーカーと呼ばれるようになりました。
マツコが好きな曲:
安室奈美恵 You’re My Sunshine
華原朋美 I believe
TRF Boy Meets Girl
マツコが知らない小室プロデュースの世界
この番組が、小室さんとマツコの初共演となります。
小室: はじめまして~
マツコ: ちょっと~ TKよ~!
マツコ: 私の20代は「大小室時代」よ! (マツコは1972年生まれ)
小室さんが番組に来るということで、小室祭りをはじめたら止まらなくなった。
朝5時くらいまで開催した・・ キリがないの・・ いっぱいあるから、本当にもう・・
小室: ゲストが進行を進める番組なんですね?
マツコ: そうよ~
小室: それで、ちょっと動揺しているんですよね。
マツコ: ぜんぜんっ
あのう、1億7千万枚売ると、一体いくら入ってくるの??
小室: 苦笑・・・ 実際は僕が全部作詞作曲している訳ではないので、実際はもっと少ないのですが・・
でも、まぁ・・・ (かなりの金額なのだろう・・)
アーティストでみるヒット曲の作り方
安室奈美恵 「Sweet 19 Blues」 (1996年)
ヒットの理由: ジャケット写真にこだわった
この曲は、奈美恵ちゃんが18歳の時に作り、19歳の時でしか歌えない曲、ということで作りました。
オンタイムでこの曲を作りたかったのです。
今でこそ、ジャケット違いという戦略があるのですが、この時代は、ジャケット違いということは斬新でした。
この時、販売枚数に自信があり、400万枚くらい行くんじゃないか!ということで、100万枚ごとにフロント写真のジャケットを変えて発売しました。
1996年4月15日付 オリコン週間ランキングTOP5
1位 「Don’t wanna Cry」 安室奈美恵 14.7万枚 (週間売上枚数)
2位 「I’m proud」 華原朋美 12万枚
3位 「FREEDOM」 globe 9.6万枚
4位 「Baby baby baby」 dos 9.1万枚
5位 「Love & Peace Forever」 trf 7.3万枚
この時、トップ5を独占するという事態が起こってしまいました!
マツコ: このとき、カバちゃんまで使ってたのね? 今は晴れて、彼女も立派になられて・・
カバちゃん見てる? 私、小室さんに会ったわよ!
華原朋美 「I’m Proud」 (1996年)
ヒットの理由: セレブ感
当時、朋ちゃんは、マライア・キャリーになりたい!という想いがあり、それを実現させようとしました。
マツコ: 私、おマラ大好き。 私がおマラって呼んでもいいじゃない!!
小室: 彼女のシンデレラストーリーを作ってあげようと思いました。質感から何から、セレブ感を出すため、
洋服は Gucci や Prada などのハイブランドを選びました。
マツコ: 「I believe」 の後がこれだもんね・・・
「I believe」 「I’m proud」 のあたりは本当に目の前でシンデレラ・ストーリーを見てたようです・・
わたし、もう引退します!ってくらいの壮大な曲だったわよね。すっごい歌だもん・・
trf 「ez do dance」 (1996年)
ヒットの理由: ターゲットをほろ酔いの大人に 学生相手ではない・・
マツコ: ダンサーの chiharuとetsuが大好き。
小室: あの二人は尊敬します。 なんて清い生き方をしている二人なんだろうって感じです。
飲酒はなし。未だに。ストイックを通り越している・・ 礼儀正しいです。
この曲は大人をターゲットにした戦略が当たり、「第26回日本有線大賞」に輝きました。
カラオケ=お酒 クラブに行ける人・・
trfを5人にした理由: 音楽番組のカメラ割りの定番を崩すため
ダンサーとDJによって空間に奥行きを出す & 音だけでなく視覚的にも楽しませる。
間奏中の画像にバリエーションを増やす目的でした。
以前の音楽番組では、ボーカルが歌い終わったあとの間奏では、ミュージシャンを映します。
TMネットワークの時、木根さんがギターを弾いているようで弾いていなかったことがバレて・・
木根さんはギターよりピアノがうまい人で、小室さんがギターをお願いしてました。
篠原涼子 「恋しさと せつなさと 心強さと」 (1994年)
ヒットの理由: 歌詞がドラマ仕立て
当時、彼女は女優になれるのではないかと、小室さんは見抜いていました。
この3分間の曲に、「私のすべてを見て!」 そのエネルギーは凄かった!
マツコ: 彼女のこの曲にかける執念というか、怨念というのが画面に表れてたのね・・
マツコ: ボーカルの声に関して、小室さんは鼻に抜ける声が好きみたいね?
小室: 極力、嫌われない声を選んでます。
マツコ: 何だか親近感のある声の方が多いですよね。なんだか、頑張ったら、
私も延長線上に彼女がいるのかなぁ・・なんて思います。
もちろん無理なんだけけど勘違いしてしまうような・・
小室: 頑張れば、そこにいける!希望は残したいなとは思ってて・・
ちょっと上手く歌う部分は、ちょっと止めてもらったりとかしました。
マツコ: ビブラートとか極力させないようにとか?
あ~確かに小室さんの曲ってフラットな歌い方の人が多いわね。
小室哲哉の最近の悩み
ヒットの方程式がみつからない
90年代にヒット曲を作れた理由は、作詞・作曲・プロデュースの3つの役割を
小室さんが一人で同時進行できたから。でも、この必死な感じは
今の時代にそぐわないのかもしれない・・・
マツコ: 当時、小室さんが時代を動かしている感じはありましたか?
小室: 動かしてるって感じはあったのですが・・
自分が追い付かないんです・・
自分が作っている曲が、自分自身を超えてしまった!
マツコ: うわ~~~~ 言ってみてぇ!!!
ADに向かって: メガネ!聞いてるか!
ふと、冷静になってみると、恐怖心みたいなのはありました?
小室: はい、ずっとありました・・
マツコ: 「じゃぁ、時代を作ってやろう」と思っていたわけではない?
小室: はい、そうではないです。
マツコ: むしろ小室さんの周りにいた人がそれを感じていた?
小室: 周りの人間で、すごく「天下とってやりたい」人は多かったです。
マツコ: 実は小室さんは、ひたすら作品を送り出していただけ?
小室: プロデューサーといっても、クリエーター、作家ですから!
マツコ: 自分の生み出した曲を必死に追いかけてるなんて・・
私はもっと嫌な人だと思ってた・・・
90年代の小室哲哉のライバル
つんく♂
じっくり聴いてみると、歌唱力があったりとか・・ メロディーが良かったり・・
詩が良かったり・・
マツコ: つんくさんが歌ってると、しょっぱいんだよね・・
(小室サウンドには) しょっぱさはないじゃない!
小室: この感じが出せなかったんですよね~
マツコ: いや、出さなくていいよ!
小室哲哉に引退を思わせたアーティストとは?
どんどん追い込まれていって・・・自分の実績を超えるのが難しくなってきました。
どうしようかなぁって思ってた矢先に・・ 起きたんです。お正月に。
お正月のCMに異常な数の出稿があったんです。
マツコ: わかった・・・ 宇多田ヒカル さん
小室: 素晴らしい・・・
マツコ: なんか、新しい!って思ったもん!!
CMを見た瞬間に・・
小室: 僕もねぇ・・ 新しいな!と思いました。
彼女のAUTOMATICっていうプロモーションビデオで、
低いところに、低い姿勢で踊ってる・・
最後に上がってくるのかな?と思ったけど、
最後まで低いんですね。
マツコ: ブラインドも閉まったまま・・
小室: で、ず~っと低い姿勢で、歌いにくいだろうなと・・・
ですら、新しいなと・・・
マツコ: もちろん小室さんと私なんかが感じてるのは全然違うんだろうけど
なんか、私、違うんだ!と感じる
小室: それで、あとは、ネーティブ。アメリカで育ってて
生まれたときから英語っていうのを聞いて・・
これは敵わないな・・・
最初、AUTOMATICっていう言葉が・・ 何がAUTOMATIC?
何が自動なんだろう?ってところで・・・
何回か、詩を追ってみても、何が自動なのか・・その理由がわからない・・
っていうくらい、作詞の概念も変えられてしまった・・・
僕には「AUTOMATIC」が出てこなかった。
出ないってこと自体 クリエーター側からすると、
出てこないんだ・・・自分は・・・ ってなるんです。
詞のはめ方から ラジオのしゃべり方
何から何まで、もう自由で・・・
いいなぁ・・ 羨ましいなぁ~
こんな好きにしゃべっていいんだ!だったりとかですね・・
大人になってからですが、
これほどやられた感は・・・ ない! っていうくらい・・
になるんです・・・
マツコ: もう20年以上前のことですから・・
でも、本当にショックだったんですね・・・
globe 「DEPARTURE」 (1996年)
ヒットの理由: KEIKOの声質
___globe誕生秘話___
KEIKOは、数十人規模のオーディションにたまたま来ていました。
小室さんは最後にゲストで最後に演奏する立場でした。
最初、ルックスは見ていなかったんです。
彼女の声を聞いたとき、この子は!と思った。
そこで、司会をやっていたのが、マーク・パンサーだった。
彼女の実家は、割烹料理屋。当時、大阪でOLをやっていたので、
どうしても歌手になりたい!という訳ではありませんでした。
何となくオーディションを受けた彼女と、3歳からモデルをやってたマーク。
ギャップがありすぎて、最初はあまり馴染まなかったです。
仲良くはなったんですが、見た目のバランス感がちょっと・・でした。
KEIKOの顔は、4枚目のシングル「Departures」で初めて顔出し。
一枚目から三枚目のジャケットでは顔は出してません。
「Departures」 くらいからKEIKOの存在感が出てきて・・
マークも少し抑えるようになってきました。
こんな感じで、番組は終了しました。
最後に・・・
以前に比べて、とても温和な表情の小室哲哉さん。
最近のKEIKOさんの状況はあまり表に出てきませんが、仲良く暮らしているのだと思います。
いつの日か、KEIKOさんの病状が回復し、globeが再活動できることを祈っています。
小室さんは本当に才能溢れた人です。
私たちの心に響く名曲をもっともっと世に出してほしいです。
楽しみにしてます。小室さん!